「バウンダリー」って言葉を聞いたことがありますか?
直訳すれば「境界線」。
私はこれを、人と人との“ちょうどよい距離感”をつくるための「見えない線」だと説明しています。
誰かに近づかれすぎて息苦しくなったときや、逆に誰かとの距離が遠く感じて寂しくなるとき。
そんなときに、心の中に境界線が引かれている感覚があったりしませんか?

心理学から見る「境界線」
心理学では、境界線(バウンダリー)とは「自分と他者を分ける心理的なスペース」と定義されています(Ogden et al., 2006)。
他者との境界線が曖昧になると、自分の感覚やニーズがわからなくなったり、時に過剰に人に合わせてしまったり、逆に強く拒絶してしまったりします。
空気を読みすぎて疲れてしまうのも、その一つですよね。
特に、トラウマのある人にとっては、境界線を持つこと自体が難しいとされます。
精神科医ジュディス・ハーマン(Herman, 1992)は、「自分の内側が他者に侵入される感覚」が繰り返されるとトラウマの影響を強く受け、人は安心して“自身の線を引く”ことができなくなると述べています。
しかし、トラウマ回復のプロセスのなかで、自分で線を引き直すことができるようになる。
それは、安心できる関係性の中で少しずつ育まれていくものです。
私の線は、最初はとても高くて分厚かった
私はもともと、自己開示がとても苦手でした。
それは今も色濃く残っていますが、少しは上手にできるようになったかなと思います。
たぶん自己開示できなかったのは、幼い頃ずっと父の顔色をうかがっていたことと関係があると思っています。
怒りや不機嫌がいつ飛んでくるかわからない空気の中で、自分の気持ちを出せば、何が起こるかわからない不安感や失望感。
だから、自分の内側に誰も入れたくなかったと言う感覚が長く続いていました。
その頃の私の境界線は、まるで厚くて高い壁のようでした。
境界線を柔らかくしてくれた人たち
そんな私が変わっていったのは、障害のある利用者さんたちとの日々の関わりの中でした。
彼らは、こちらが本気じゃないとすぐに見抜きます。
心から向き合わないと、全く心を開いてくれない。
だから私も、自分の気持ちをごまかさずに、「今こう思ってる」と伝えるようになっていきました。
気がつくのに時間はかかったけれど、そこに信頼が生まれるのだと皆んなが教えてくれました。
境界線って、何本あるんだろう?
私はよく、「バウンダリーって何本あると思う?」と聞いたりします。
すると、多くの人が「1本」と答えるんです。
これ、特に決まっているものではないので、1本でも間違いではありません。
しかし、私は違うと思っているんです。
「わたしの線」と「あなたの線」。
2人のあいだには、2本の境界線があると考えています。
もっと言うと、お互いの周りにそれぞれ丸く境界線を持っている感じ。

もし私とあなたの間に1本しかないと、どちらかが踏み込んで、どちらかが我慢するしかない。
そんな構図になりがちです。
でも互いの間に2本あるって考えると少し心が穏やかに反応できる。
お互いの線を大切にしながら、その2本の「間」を育てていくということが見えてきます。
お互いが自分の“内側”を大切にしながらも、「ちょうどいい場所」で出会うことができる。
線引きするという対立ではなく、そこから対話が始まるんです。
まるでカードゲームみたいに
私は、バウンダリーを「カードゲーム」みたいなものだと感じています。
「これが私のカードだよ」って差し出す。
そしたら相手も、「じゃあ、これは僕のカード」と見せてくれる。
「へぇ、そうなんだ」「そんな考え方もあるんだね」って、互いにカードを見せ合っていくような感覚。

そこに勝ち負けはないし、正解もない。
ただ「わたしはわたし」「あなたはあなた」と確認し合いながら、対話を使ってお互いを少しずつ理解していく。
その“間”を育てていくことこそが、関係し合える第一歩になると思うのです。
線を引くことは、つながりをやめることじゃない
境界線を引くことは、「拒絶」や「遮断」と捉えられがちです。
でも本当は、それはお互いが無理なく、心地よく関われるための準備のようなもの。
トラウマインフォームドケアの原則のひとつにも、「信頼性と透明性」という考えがあります。
どちらかが我慢するのではなく、お互いの線を大切にしながら安心できる関係を築いていくこと。
それが本当に“尊重し合えるつながり”を生むのだと、私は思っています。
さて、あなたの線はどんな線ですか?
あなたの線は、今どんなふうに引かれていますか?
それは厚すぎたり、薄すぎたりしていませんか?
バウンダリーは「自分を守るもの」であると同時に、「つながるためのもの」でもあります。
誰かとの間に、2本の線を意識してみる。
その線の“間”で、焦らず、関わり合って、つながっていけたら。
私はそんなふうに、これからも人と関わっていきたいと思っています。
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