福祉とビジネスの境界線

「それって正しいの?」

相手を思って言ったはずの言葉が、なぜか届かない。
福祉の現場で「これが大事」と信じていることが、他の誰かにとっては「甘い」「理想論」と言われてしまう。
そんな経験、ありませんか?

自分の中では“当たり前”だと思っていたことが、立場や文脈の違いによって、全く別の意味をもって受け取られる。
今回のブログは、そんな“視点のズレ”に揺れた私自身の体験から始まります。

ある日の会話から生まれた問い

最近、とても尊敬している看護師の友人と話す機会がありました。
彼女は複数の医療の現場を渡り歩き、現在は医療現場でも勢いのあるベンチャー企業で、看護部の管理職を務め、現場の調整や人材マネジメントに関わっています。
信頼できる力強い存在で、私もいつもたくさんの学びをもらっています。

そんな彼女との会話の中で、こんな話が出てきました。
彼女の上司が話していたという内容です。

「会社が沈みかけの泥舟だったとしても、経営陣はその舟に乗り込まなきゃならない。穴を開けるような従業員がいたら、降りてもらうしかない」

それを聞いた彼女は、「管理職としてその気持ちは理解できる」と言っていました。
実際に多くの現場を見てきた彼女だからこそ、言葉に重みがありました。

でも私は、その話に少し胸がざわついてしまったんです。

それって“ 排除 ”ではないのか?って。

舟に穴を開けたくて開ける人はいない

仮に、誰かがその舟に穴を開けてしまったとしても、「それは本当に“ 排除されなければならない存在 ”なのか?」という問いが私の頭に真っ先に飛び出してきました。

それに対して、「それは排除ではなく、その人の力が発揮されるのはされるのはココではない」という事だよと彼女は説明してくれました。

私の感覚では、それが泥舟だと分かっていながら「一緒に乗る」と決めた人がいるのなら、できることを一緒に考えたいと思ってしまう。
たとえ今はその人の力がマッチしていなくても、「ここではない」と相手が決めるのではなく、「どうすれば共に進めるのか」をまずは探したいと思ってしまいます。

でも、そうした考えは「福祉的視点が強すぎる」と言われました。
私は、そう言われること自体に傷ついたわけじゃなくて、“そうせざるを得ない現実”があるのだということに、なんとも言えない切なさを感じたんです。

心理学者カール・ロジャーズは「人は自分が無条件に受容されるとき、変化しようとする意欲が生まれる」と述べました(Rogers, 1961)。
つまり、排除や拒絶によって人は変わるのではなく、「ここにいていい」と感じられることが、前に進む力になるということなんです。

カール・ロジャーズについての私のおすすめ本はこちら

支援の現場で育まれた「在り方」

私は20年近く、障害のある方の支援に携わってきました。
その中で何より大切にしてきたのは、「共に在ること」。

たとえ今すぐ、直接的に誰かの役に立つ力がなかったとしても、誰かのそばにいること自体が、その人の存在自体が、その人が「今そこに在る」ということに、大きな意味があると信じてきました。

もちろん、組織には成果や持続可能性も必要です。
「ビジネス」としての視点が大事な場面も、現実としてたくさんあります。

でも、支援の視点では、「力を合わせる」というときに、効率性よりも“関係性”が軸になります。
そこには、「居ることを許される安心感」「排除されない関係性」が含まれているのです。

心理的安全性(Psychological Safety)という概念があります(Edmondson, 1999)。
これは、「自分の意見を安心して表現できる場」こそが、学習や創造性、協働の土台になるという考えです。
これは支援の現場に限らず、最近は企業内でもこの安全な関係性が保たれていることで、人は本来ある自分の力を存分に発揮できるのだと考えられています。

友人の立場も、わかるからこそ揺れた

ただ、今回のブログで私が言いたかったことは、どちらが「正しい」のかではありません
今回の出来事は、そんな問題ではなかったと思っています。

彼女の言うことも、ちゃんと理解できる。
責任ある立場だからこそ、組織や人の未来のために、苦しい決断をしている。
私には想像できないほどの責任と、管理者としての視点を持って、日々現場に立っている人。

私はそんな彼女を、今も変わらず心から尊敬していますし、だからこそ、自分の気持ちが揺れたのだと思います。
今回、私の大きな展開となったのは、共生していく、公正的な世の中をと話している私の「在り方」を、改めて考えるきっかけになったことでした。

「正しいかどうか」じゃなくて、「どこに立っていたいか」

福祉とビジネスの間にある、この見えない境界線。
どちらが正しいということではなくて、
「私はどこに立っていたいか」「どう在りたいか」を見つめ直す、そんな時間でした。

私はやっぱり、「どこならこの人の力が発揮できるか」を一緒に探していたい。
「降りてください」と言う前に、「何が苦しかったのか」を聞きたい。

それがきっと、私の「在りたい支援者像」なんだと再確認できました。

そして、誰かとの違いに出会ったときに

このブログを読んでくれている方の中にも、
誰かと視点が違ったり、思いがすれ違った経験のある方がいるかもしれません。

そのとき、どちらかが「正しい」わけじゃない。
ただ、立っている場所が違うだけかもしれない。

そんなふうに考えられたら、その違いの中でも良い関係を続けていけます。
そして違う視点からの学びが、自分自身を育ててくれるって思えたらいいですよね。

あ、それが自己肯定感ってやつですよ。

この記事を書いたのは

植竹 美保
団子の焼ける公認心理師
こころ整備士(認定専門公認心理師)の植竹美保です。
たまに団子屋になりながら、支援者支援をメインに活動しています。

もう疲れた、先に進めない、進みたくない。
そんな風に思ったら、私と一緒にこころを整備してみませんか?
少しでも皆さんの心持ちが軽くなるようなお手伝いができればと思っています。
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