「それ、衛星で撮ってると思ってた。」

このあいだ美容院で髪を切ってもらってたとき、こんな会話になったんです。

「今どきの車って、駐車するときに上から映るの、すごいですよね〜」って。
あの真上から見てるみたいに、ナビの画面に出てくるやつね。

「どうやって映してるか知ってます?」
「あれ、衛星から映してるんですよね?」
って聞かれて、思わず「え?」ってなる私。

「あれは、前後左右のカメラの映像を合成してるんだと思いますよ」って答えたら、
「え〜!? そんなふうに言った人、初めて!いろんな人に聞いたのに!」
って、めちゃくちゃ驚かれて。

いや、むしろ私は「衛星」って発想が新鮮すぎてビックリでした。
「それだと地下の駐車場、写せないですよね?」って言ったら、
「あっ、ほんとだ〜」って納得してる。

なんかね、正解がどうこうってことじゃなくて、
「人って、こんなに見てる場所が違うんだな〜」ってことの方が面白かったんですよ。

三角?四角?丸?——どっちから見るかで、ぜんぶ変わる

たとえば、こんな立体の物体を想像してみてください。
自分から見ると三角。
でも、隣の人には四角に見えて、上から見れば丸かもしれない。

どれが「正面」かなんて、実は誰にも決められないし、どれも間違ってない。
それぞれが、それぞれの角度から“本当に見えてるもの”なんですよね。

まぁ、今のところ“衛星から映している”はないかもだけれど、将来的にはそうなる可能性だってあるし。
すでに衛星から地球に画像が送られてくるんだから、あながち嘘ではない。
だから、どれが正解かなんて、もしかしたら分からなくなるのかもしれないですよね。

行動の「意味」って、外からはわからないこともある

そんな話をしながら、思い出した人がいます。
以前支援していた、知的障害のある方。
言葉でやりとりするのがちょっと難しい人だったんですけど、すごくまっすぐで、やさしい人でした。

ある日、調理をしていたスタッフが道具を落として「ガシャーン!」って大きな音がしたんです。
そしたら彼、大爆笑しながら「だいじょうぶですか〜?」って駆け寄っていくんです。
ガラスの細かい作業をそっと置いて、エプロンを手にして。
でも、アーハッハ〜!🤣って大爆笑してる。

思わずそのスタッフは「笑うなよ!」って言っちゃってたんだけど、
その人の行動って、どう見ても“助けに行ってる”んですよね。

お母さんにも話を聞いたり、これまでの関わりの中でも、「困ってるの?」と聞けば「困った〜!」って言ってくれたり、気持ちを伝えようとする姿はたくさんあって。

だからきっと、あのときも「大丈夫かな」「なにかできることあるかな」って思って、でもうまく言葉にできなくて、その緊張とか焦りが“笑う”って形で出ちゃったんじゃないかと思ったんです。

そう考えると、「笑う=バカにしてる」だけじゃないよなぁって思うんです。
確かに一般的に考えると、笑うは楽しいとか嬉しいと捉えられがちだけど、中には困って笑う人が居たって良いと思ってるんです。

笑いながら心の中で人を小馬鹿にする人よりも、断然ステキな表現だなと。

私たちはつい、“見えているもの”だけで判断しちゃうけど

人の行動って、感情や思いの“翻訳”みたいなものだと思うんです。
その翻訳がうまくいかないとき、まったく違う意味に受け取られちゃうことがある。

たとえば、笑いにしたって、楽しいだけではない時もありますよね。
「緊張して笑ってしまう」「怒られてると笑っちゃう」って経験、誰でもあると思います。

だから、“笑った=楽しい”という既成事実だけで、その人の中身まで決めつけるのって、もったいないと思いませんか?

「え?衛星で撮ってると思ってた」って言われて思ったこと

その美容師さんの話もそうだけど、「なんでそう思ったんだろう?」って視点で聞いてみると、世界がちょっと面白くなる。

「それは違うよ」じゃなくて、「なるほど、そんなふうに見えるのか」っていう柔らかい反応。
それって、すごく心地いい関わり方だなって思うんです。

笑いながら助けに行く彼も、なんでそう笑いながら助けてるんだろ?って思えれば、誰も傷つかないし。

正しさより、「どこから見てるの?」を大事にしたい

人の見方は、ほんとにバラバラ。
同じものを見ても、聞いても、味わっても人それぞれ。
「みんなそれぞれが違う」ってこと自体を、おもしろがれたらいいなぁと私は思っています。

「それって、どうしてそう思ったの?」って聞いてみると、
その人の経験とか価値観とか、いろんな背景が見えてくる。

それってなんか、“正解を探す”のとはちょっと違う豊かさがあると思うんですよね。
あ、でも資格試験とか運転免許試験とかはまた別の話ですけど。

どこが“正面”かなんて、わからないからこそ

私から見えてる世界も、きっとどこか偏ってる。
だから、自分とは違う視点に出会ったとき、「なるほど!」とか「どうやったの?」って興味を持てる自分でいたいと思っています。

“正しさ”よりも、“その人らしさ”。
見え方の違いを楽しめる人でありたいし、そういうやりとりが、日常のなかにもっと増えていったらいいなぁ、なんて思った髪切日でした。

Ps:影から浮かぶ“ほんとう”のかたち

そういえば、この文章を書いているときに、ふと思い出したアート作品がありました。

ダンボールを切り貼りしてつくられた、どこか無造作にも見える立体。
でも、そこにライトを当て回転していくと、壁にはっきりと志村けんさんの影絵が映し出されるんです。

見る角度や光の当て方によって、ただの段ボールがまったく違う意味を持った像になる
最初は「なんだろう?」としか思えなかったものが、視点を変えた途端に「あ、そういうことか!」と見えてくる。

この作品、なんだか人の言動にも似てるなと思って。

ぱっと見ただけではわからない。
でも、光の向きや距離を変えることで、その奥にある思いや意図が浮かび上がってくる
そんなふうに、人との関係や出来事を眺めてみるのも悪くないなって思うんです。

気になる方は、こちらの動画をぜひ覗いてみてください。
志村けんさん影絵アート(Instagram)

この記事を書いたのは

植竹 美保
団子の焼ける公認心理師
こころ整備士(認定専門公認心理師)の植竹美保です。
たまに団子屋になりながら、支援者支援をメインに活動しています。

もう疲れた、先に進めない、進みたくない。
そんな風に思ったら、私と一緒にこころを整備してみませんか?
少しでも皆さんの心持ちが軽くなるようなお手伝いができればと思っています。
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