「うーん……」と考え始めた瞬間

いつもの空手道場。
ちょっと考えさせられる場面に出会ったんです。
週末の道場は活気があっていいな、子供たちも頑張ってるな〜なんて眺めていたら、ある親御さんがものすごく熱心に、我が子に声を掛けていました。
「もっと腰を落として!」
「違う、違う! さっき先生に言われた通りにやってごらん!」
お母さんも、どんどん声に熱が入っていく。
でも、アドバイスを浴びせられれば浴びせられるほど、子どもの動きは硬くなっていきます。
やがてその子の目から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちていました。
泣きながら、それでも必死に親の顔色を伺って動こうとしている小さな身体を見て、なんだか胸がぎゅっと痛くなったんです。
もちろん、親御さんに悪気なんてこれっぽっちもありません。
むしろ誰よりも我が子を応援しているし、上手になってほしい。
その熱意は、間違いなく純粋な「愛情」から出ているものです。
私はそのあと、道場の片隅で涙を拭っているその子に近寄って、そっと声を掛けてみました。
「頑張ってるね。今、どこがうまくいかないって思ってる?」
こちらから答えを教えようと思って近寄ったわけではありません。
ただ、その子が今、自分の身体と心で何を感じているのかな、と思ったから。
そしたら、その子が「うーん……」って考え始めたんです。
その瞬間、「あ、この子は今、自分で考え始めたな」って嬉しくなりました。
その後、ちゃんとその子なりの答えを私に教えてくれたけど、ここでは内緒です。
教え込まれた正解をなぞるのではなく、自分の頭で考え始めた小さな時間。
それが道場の片隅で、確かに流れていました。

この光景を思い返すたびに、私は自分自身にも問い掛けたくなります。
私たちの「応援したい」という純粋な気持ちって、一体どこで、「相手の選択まで握ってしまう」という境界線を越えてしまうんだろう、って。
……いや、実はこれ、私自身もよく分かってないんです(笑)。
20年以上支援の現場にいて、公認心理師なんて資格を持っていても、企業支援でも、地域の対話の場でも、毎回「これでいいのかな」って、私もずーっと揺れながら悩んでいます。
やりたい放題やっているようで

ある日、そんな風に自分の過去をなんとなく振り返っていたとき、ふと保育士を目指していた学生時代の就職面接を思い出したんです。
「どんな保育士になりたいですか」と聞かれて、私はこう答えました。
「関わった子どもたちの未来への糧になりたいです」
今思えば、本当に青くて生意気な学生(笑)
その頃から現在にいたるまで、私の歩みはいろんなところに転がっていきます。
障害者支援の現場でどっぷり過ごした20年間、心理支援、企業の組織づくりのお手伝い、仲間たちとやっているYouI=EQUITYでの地域の対話の場(IRORI会)や、たまにイベントで団子まで焼いている。
一見すると、あちこち脈絡なくやりたい放題に飛び火しているように見えるかもしれません。
だけど、あの面接の言葉を思い出したとき、「あ、アタシ全部同じことやってるわ」って気づかされたんです。
誰かに答えを教えるんじゃなく、その人が自分の中にあったものに気づいていくプロセスを支えたい。

思い返せば、私のすべての活動の根底には、一貫していました。
「相手の未来を決めるのではなく、相手が未来を選ぶための糧になる」という哲学です。
「相手の未来を支配しない支援」という表現が、今の自分に驚くほどしっくりきています。
子育てでも、部下の育成でも、私たちはつい「あなたのために言っているのよ」という言葉や思いが表れてきます。
でも、その言葉の裏側をちょっと覗いてみると、実は「自分の心の不安」なんかが隠れていたりします。
「失敗してほしくない」
「私の信じる正しいルートを歩んでほしい」
もっとはっきり言えば「私の言う通りに動いてくれたら安心する」という、こちらの都合。
相手を大切に思い、応援したい気持ちが強いからこそ、気づかないうちに相手の選択まで握ってしまうことがある。
「支配する悪い人」と「支援する良い人」が世の中に分かれて存在するわけじゃなく、誰もがみんな、良かれと思って相手の未来のハンドルを奪い取ろうとしてしまう、そんな脆さをどこかに抱えているんだと思います。
自分で決める、ということ
心理学の領域でも、この「自分で決める」ということの重要性は昔からずっと語り継がれています。
たとえば、心理学者のエドワード・L・デシとリチャード・M・ライアンが提唱した「自己決定理論」という理論があります。
人間が生き生きと、自発的に行動するためには、いくつかの大切な欲求が満たされる必要があるとされているのですが、その最大の柱が「自律性」です。
要するに「他者からコントロールされたり、レールを敷かれたりするんじゃなくて、自分の行動は自分で選んでいるんだ」という実感のこと。
どれだけ素晴らしいアドバイスであっても、上から「こうしなさい」と押し付けられたものでは、人は本当の意味で「自分の人生を生きている」という実感がなくなってしまいます。
境界線って本当に難しいと悩みながらも、やっぱり本人が自らの意思で「こうしてみよう」と思える空間をひらいていくこと。
それが、相手の未来を勝手に決めない関わりの第一歩なのだと思います。
「居ないなりの未来」の、その先

私が20年勤めた障害者支援の施設を辞めるとき、周囲から「いなくなったら本当に困る」「これからどうすればいい」と言われたことがありました。
「あ〜アタシは必要とされていたんだな」と実感し、嬉しく思いました。
でも、そのとき私は笑ってこう答えたんです。
「居ないなりの未来が楽しみだね」
決して冷たく突き放したわけじゃないんです。
本気でそう思っていたから。
私がそこにいれば、私との関わりの中でその場所の未来も作られていく。
でも、私がいなくなれば、今度は残された人たちや新しい誰かによって、また別の、私が想像もしなかった素敵な未来が生まれていく。
それって、すごくワクワクすることじゃないですか。
でも、あの時のことを考えると答えの出ない、迷いも残されました。
あの時、「必要とされて嬉しい」と感じたのは、相手のためだったんだろうか。
それとも、自分のためだったんだろうか。
あの時の私は、自分のために嬉しかったのかもしれません。
でも今振り返ると、それだけではなかったような気もしています。
きっと、今も同じような場面があれば、「居ないなりの未来」という言葉を使うと思います。
でも、今はその言葉の奥底にある意味が、自分の中で明確に見えています。
あの言葉の裏側には、その私が居ない未来のどこかで、
「あ、そういえば昔、植竹ってやつがいたな」
「あの時こんなことを言ってたな」って、
私との出会いがその人の人生の小さな糧として残っていたら、それはやっぱり、すごく嬉しいなと。
「そこに居なくてもいい。でも、居た意味がどこかで残せたら、それはそれで幸せだな」って思うんです。
目標となる北極星を見上げて

私は誰かを責めるために、この文章を書いたのではありません。
道場で声を枯らしていた親御さんも、部下の成長を願う上司も、みんな根底にあるのは「応援したい」という温かいエネルギーです。
だからこそ、境界線はいつでも揺れるし、難しい。
だから、私はこれからも立ち止まって、自分自身に問い掛け続けたいと思っています。
「この人の物語を、私はちゃんと聞けているか?」
「私は“答え”を急いでいないか?」
私自身の、そしてこれからのすべての活動の”北極星”となる一文を、ここに残しておこうと思います。
支援とは、相手の未来をつくることではない。
相手が自分で未来を選べるように関わること。
その関わりが、いつかその人の人生の「糧」になれば、それで十分。
人の未来を見定めるなんて、本当に難しい。
……というより、そもそも見えるはずがない!
だから今日も、人の話を聞きながら、その人が自分で未来を選ぶ瞬間を、一緒に待っていたいと思います。
さて。
あなたは誰の未来を信じられますか?
おすすめ参考文献
書名:『 人を伸ばす力―内発と自律のすすめ』
著者、訳者:エドワード・L. デシ (著), リチャード フラスト (著), 桜井 茂男 (翻訳)
「自分で決めること(自律性)」の大切さを、数々の実験やエピソードから紐解いた名著です。
プレッシャーや良かれと思った先回りのアドバイスが、いかに人のやる気や自律性を奪ってしまうかの構造が描かれています。
「応援」が知らないうちに「支配」へと揺らいでしまうメカニズムをより深く知りたい方へ、まさに「相手の未来を信じる」ための優しいヒントをくれる一冊です。










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