ネット社会の生きづらさ、その背景とは

つい先日、芸人の有吉さんの「体型いじりの笑いは時代遅れ」というニュースが話題になっていました。私はこのニュースを見て、同時にSNSのコメント欄で繰り広げられる激しい言葉の応酬も目にしました。

芸人さんの言葉と、ネットの言葉。
同じように誰かの「ちがい」をいじるように見えるけれど、その根っこにあるものは全く別物だと感じます。

今回はこの「ちがい」について、一緒に考えてみませんか。

「言葉による笑い」と「誹謗中傷」の境界線

有吉さんのような芸人さんの笑いは、「お互いの利益」があるからこそ成立します。

演者側は面白い言葉のセンスやキャラクターを確立し、支持を得る。
視聴者側(受け手側)は日常のストレスから解放され、笑いや楽しさを得る。

そこには、暗黙の了解や、言葉のやり取りを成立させるための文脈(コンテクスト)が存在します。
しかし、これは非常に脆いもので、その文脈を理解できない人が見れば、簡単に「誹謗中傷」「いじめ」と受け取られてしまうリスクも常にはらんでいます。

一方、ネット上での誹謗中傷には、多くの場合、この「お互いの利益」や「暗黙の了解」がありません。
そこにあるのは、「一方的な攻撃」と「満たされない自己」だと感じるのです。

なぜネットの誹謗中傷は生まれるのか

実際、研究でも誹謗中傷をする人の特徴が明らかになっています。
20代は40代の約4倍、誹謗中傷を行いやすく、全体の5.5%は「他人が不快になる情報への配慮をしていない」予備軍として存在するそうです。

その背景を見てみると、攻撃する側の心にあるのは、満たされない承認欲求や、現実で得られない優越感、そして「自分の人生をコントロールできていない」という無力感があるのではないでしょうか。

自己肯定感の低さと他者攻撃性には強い相関関係があることも分かっています。
つまり、自分を肯定できない人ほど、他者を攻撃することで一時的な優越感を得ようとする傾向があるということです。

さらに興味深いのは、過去にいじめ被害を受けた人が加害者になりやすいという「負の連鎖」も確認されていること。
これは、誹謗中傷が「マナーが悪い人の問題」だけではなく、「心に傷を抱えた人のSOS」という側面があることを示しているのではないでしょうか。

デジタル時代特有の「新しい孤独」

Z世代には「裏アカウント」を持つ人が増えています。
表のアカウントでは「良い自分」を演じ、裏では本音を吐露する。
これって、SNSでは1000人とつながっているのに「本当の自分を受け入れてもらえる場所がない」という、現代特有の孤独を表しているのかもしれません。

実際、3日間誰とも対面で会話をしないと、85%の人が明確な孤独感を感じ始めるという研究もあります。
つながっているはずなのに孤独。
この矛盾が、攻撃的な行動として表れることもあるのでしょう。

芸人さんの言葉が誰かを「笑わせる」ためにあるのに対し、ネットの誹謗中傷は誰かを「傷つける」ことで、自分自身の心のバランスを取ろうとする行為と言えます。

「マナー」だけでは変わらない理由

ネットのマナーを呼びかけることは大切ですが、それだけでは問題は解決しません。

なぜなら、誹謗中傷は「マナーが悪い」という表面的な問題だけでなく、個人の心の傷や社会全体の生きづらさという、もっと深いところから生まれているからです。

障害を個人の問題ではなく、社会の側にあるバリアとして捉える「社会モデル」の考え方。
これは誹謗中傷問題にも通じるのではないでしょうか。

現在、政府が「孤独・孤立対策推進法」を制定せざるを得ないほど、社会的孤立が深刻化しています。単身世帯の増加、職場での人間関係希薄化(34.8%が実感)、地域コミュニティの弱体化。

誹謗中傷もまた、個人の性格の問題だけではなく、「つながりの希薄な社会」「孤立しやすい社会構造」「承認を得にくいシステム」がもたらす問題として捉える必要があるのではないでしょうか。

マナーと心の両面からの改善策

この問題を改善するには、マナーと心の両面からアプローチすることが不可欠だと思うのです。

表面的なマナーの改善

これは、ネット社会全体のルールやシステムを整えることです。

匿名性の見直し:
完全に匿名にせず、ある程度の本人確認を義務付けることで、責任感を持たせる。
AIによる監視・フィルタリングの強化:不適切な言葉を自動で検知し、投稿できないようにする。
プラットフォーム事業者の責任明確化:誹謗中傷投稿への対応を迅速かつ厳格に行う。

これらは、言わば「社会のインフラ整備」です。誰もが安心して利用できる場所にするために、ルールを明確にし、守ることが当たり前とする社会が必要不可欠です。

根本的な心の改善

こちらは、一人ひとりの心の状態に働きかけることです。

心の居場所づくり:
現実世界で孤立を感じている人が、安心できる居場所やコミュニティを見つけられるように支援する。

リテラシー教育の深化:
「ネットリテラシー」は、単に情報を見分ける能力だけでなく、「言葉が持つ暴力性」や「相手の背景を想像する力」を育むことも含まれます。

「助けを求める」ことへのハードルを下げる:
自分の生きづらさを攻撃という形で表現する前に、誰かに相談できるような環境や文化をつくる。

マナーの向上を求めるだけでは、根本的な解決にはなりません。
誹謗中傷の背景にある「生きづらさ」や「孤独感」に目を向け、それを解消していくための支援が必要です。

私たちにできること

誹謗中傷をなくすためには、攻撃している人自身が抱える「生きづらさ」に目を向ける必要があります。

攻撃的な行動の背景に隠された孤独や無力感を解消する手助けをすること。
それは、私が大切にしている「公正的社会作り」という信念にもつながります。

障害福祉の現場では、「攻撃的な行動」を見せる人ほど、実は深い傷つきや孤立感を抱えていることがよくあります。
その人の行動だけを見て判断するのではなく、背景にある「生きづらさ」に目を向ける。

これは、ネット上の誹謗中傷に対しても同じことが言えるのかもしれません。
相手を「正しさ」で論破するのではなく、「この人にとってはそれが真実なんだ」と受け止める。
攻撃的な言葉の向こうにいる「一人の人間」を想像してみる。

でも、そんな余裕がない時もありますよね。
その人の背景に思いを馳せる余裕のなさは、どこから来るのでしょうか。
もしかしたらそんな時は、私たち自身も何かしらの生きづらさを抱えているのかもしれません。

自分を支えている人たちの存在を知ること。
そして自身もそれに気が付きながら、安心して活動できること。
それが、結果的に居場所を失った人たちに届き、社会全体の生きづらさの解消にも貢献できると信じています。

最後に

「誰かのちがいを受け入れよう」と頑張るのは、実はとても難しいことです。
人それぞれに価値観があり、理解できないこともたくさんありますから。

でも、「ちがいがあることが当たり前」という前提で関わることはできるかもしれません。
そもそも「ちがいを基準にしない」関係性の中で、誰もが自然体でいられる社会が、誰にとっても居心地の良い居場所になるのかもしれません。

ネットの誹謗中傷という現象は、私たちがそんな社会にまだたどり着けていない現実を教えてくれているのだと感じます。

でも、それは無理な現実、絶望的なことなのでしょうか?

あなたが今日、誰かの話に耳を傾ける時間があったとしたら。
職場で、家庭で、SNSで、誰かの「ちがい」をそっと受け入れる瞬間があったとしたら。
それは小さくても、確実に誰かの心を支え、社会を変えていく力になります。

どんな人でも、今この瞬間も、誰かのことを支えています。
日々の小さな積み重ねの活動が、少しずつ社会を変えていく力になると私は信じています。

この記事を書いたのは

植竹 美保
団子の焼ける公認心理師
こころ整備士(認定専門公認心理師)の植竹美保です。
たまに団子屋になりながら、支援者支援をメインに活動しています。

もう疲れた、先に進めない、進みたくない。
そんな風に思ったら、私と一緒にこころを整備してみませんか?
少しでも皆さんの心持ちが軽くなるようなお手伝いができればと思っています。
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