古着屋さんを歩いていると、ときどき不思議な感覚に出会います。
「これ、なんでこんなに高いんだろう?」 ただのヨレたTシャツに見えるのに、タグのデザインや年代だけで何万円もつくものがある。
一方で、自分が何気なく買った1,000円のTシャツのほうが、なんだか肌に馴染んで手放せなかったりもする。
価値っていったい、どこから生まれるんだろう。
そんな問いが、ふと浮かびます。
自分の“好き”と、他者からの“いいね”

世の中にはビンテージ市場という“客観的な評価軸”があります。
だけど、実際に手にとってみると、結局いちばん影響するのは 「自分が着てしっくりくるかどうか」 という、ものすごく主観的な基準だったりする。
さらに言えば、誰かに 「それ、いいね」 と言われると、なんだか嬉しくなり購入の決定打に。
ここには、心理学でいうソシオメータ理論(Leary, 2005)が顔を出します。
人は「他者から受け入れられているかどうか」を無意識にモニタリングする“心の計器”を持っていて、肯定的な反応を得ると自己評価(自尊心)が自然に上がる、という考え方です。
つまり、Tシャツの価値は「布そのもの」にあるのではなく、 自分の感覚 × 他者とのやりとり その掛け合わせの中で、動的に立ち上がっているのです。
言葉のない彼がくれた「謎の上着」
この構造は、私が体験した支援の現場での“ある出来事”と重なります。
以前、言葉でのコミュニケーションが難しい利用者さんと一緒にいたときのこと。
咳をして寒そうにしていた私を見て、彼がふいに“上着”を私の肩にかけてくれたことがありました。
言葉はありません。
でも、その行動だけで十分でした。
「寒いでしょ。これ着なよ」というメッセージが、言葉以上にダイレクトに伝わってきたからです。
その瞬間、私の中に立ち上がったのは、 「大切にされている」という温かな感覚と、 「自分はこの人に受け入れられてる存在なんだ」という確かな手応え。
これは心理学でいうBelongingness(所属欲求)が満たされた瞬間でもあります。
Baumeister & Leary(1995)が提唱したように、人は“安定した関係の中で配慮されること”を根源的に求めているからです。

……ただ、この話には続きがあります。
あとで分かったのですが、 その上着、彼のものではなかったんです。
しかも、誰のかも分からない上着(笑)。
「誰のか分からないけど、とりあえず寒そうだから着せちゃえ!」 という、あまりに短絡的で、でも、純粋な優しさ。
所有権という「社会的な正しさ」よりも、目の前の人を温めたいという「関係性の事実」が先行した瞬間でした。
客観的価値 vs 関係的価値

普通に考えれば「人のものを勝手に使ってはいけない」という話になります。
でも、不思議なことに、私の心に残ったのは「迷惑」ではなく「温かさ」でした。
古着屋のTシャツも、彼がくれた謎の上着も、 結局、心理的な構造は同じです。
- 物の価値(ブランドや所有権)は、絶対的なものではない
- “誰かとの関係性”の中で、その瞬間の意味(価値)が決定される
社会構成主義(Social Constructionism)の視点で言えば、現実は「やり取り」の中で作られます。
あの上着は、客観的には「誰かの物」でしたが、私と彼の間では間違いなく「優しさの象徴」として機能しました。
言葉がなくても、所有者が不明でも(笑)、 「あなたを気にかけている」というナラティヴ(物語)が共有されたとき、そこにはかけがえのない価値が生まれるのです。
おわりに
支援の現場にいると、ときどきこうした「論理を超えた温かさ」に出会います。
正しさや効率、所有権といった大人の理屈を、 純粋な「誰かを思う気持ち」がひょいと飛び越えてくる瞬間。
あなたにも、捨てられないボロボロのTシャツや、 辻褄は合わないけれど、なぜか忘れられない誰かの行動ってありませんか?
それはきっと、その物や出来事が “関係の中で特別な価値を帯びた” 証拠です。
もし、誰かが寒そうにしていたら。
(できれば自分の上着で)そっと肩にかけてあげてみてください。
その瞬間、単なる防寒具が、言葉を超えたメッセージに変わるはずですから。









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