「すき焼き」と「牛」と、マジョリティの特権

今日は、私が講義や研修の中でよくお話しする、「ちょっと不思議な質問」を皆さんにも投げかけてみたいと思います。

この質問の答えを考えていくと、私たちが普段当たり前だと思っている「自立」や「支援」の本当の姿が見えてくるかもしれません。

突然ですが、今夜は「すき焼き」にしませんか?

想像してみてください。
あなたは今、仕事の帰り道です。

ふと、「今夜はどうしても美味しい『すき焼き』が食べたい!」という気分になりました。
さて、皆さんはどうしますか?

おそらく、ほとんどの方がこう答えるでしょう。

「スーパーに寄って、牛肉と割り下、春菊や焼き豆腐を買って帰ります」

ですよね、これが私たちの日常です。


では、ここでもう一つ、少し意地悪な質問をさせてください。

「どうして、スーパーへ行くのですか? 」
「牛を飼おうとは思わないのですか?」


「えっ、牛を飼う? 何を言っているの?」と笑っちゃいますよね。
でも、私は至って真面目に「どうしてですか?」と聞き返します。

「だって、マンションだから飼えないし」
「育てて解体するなんて無理」
「スーパーに行けばお肉が売っているんだから、わざわざ育てる必要なんてないじゃない」

そう、まさにそこなんです。

「自分は自立している」という、ありがたい錯覚

私たちは普段、「自分の力で生きている」「自分のことは自分でできている」と思いがちです。
社会人として自立し、誰の助けも借りずに生活している……
そんなふうに感じている方も多いかもしれません。

でも、もし明日、世界中のスーパーマーケットや物流システムが、魔法のように消えてしまったらどうでしょう?

自分でお肉を用意するために、子牛を調達して育て、適切に解体し、野菜を一から栽培し、さらには割り下に必要な醤油や砂糖まで自作しなければならないとしたら。
きっと、私を含め多くの人が「何もできない人」になってしまい、途方に暮れてしまうはずです。

私たちが「自分はできている」と感じられるのは、個人の能力が高いからではありません。

自分のできないことを、当たり前のように誰か(社会)が支えてくれているから」なのです。

お金を出せば食材が手に入る経済システム、蛇口をひねれば水が出るインフラ、ボタン一つでつく電気。
こうした無数の「社会的な支え」が、私たちの「できない」を先回りして埋めてくれている。
この事実に気づいたとき、「自立」という言葉の響きが少し変わってきませんか?

透明なバリア:星加良司氏が説く「マジョリティの特権」

東京大学の星加良司先生は、障害学の研究の中でこれを「マジョリティの特権」と表現されています。

「特権」と聞くと、何か特別な贅沢をしているように感じるかもしれませんが、そうではありません。
ここでの特権とは、「社会の仕組みが自分の属性(多数派)に合わせて作られているため、その恩恵を空気のように享受でき、支えられていることにすら気づかなくて済む状態」を指します。

例えば、多くの建物に階段があるのは、社会が「歩ける人」をマジョリティ(多数派)と想定して設計されているからです。
階段をスタスタと登れる人は、自分が「階段という環境」によって移動を保証されていることに気づきません。

一方で、車椅子を利用している方は、そこにスロープやエレベーターがないとき、初めて「環境による壁」に直面します。
このとき、階段を登れる人が「自分の努力で登っている」とだけ思い込み、登れない人を「個人の能力不足」と見なしてしまうとしたら……

それこそが、マジョリティの無自覚な特権と言えるのです。

出口真紀子氏の視点:特権は「自動ドア」のようなもの

ここで、上智大学の出口真紀子先生が提唱されている興味深い例えをご紹介します。
出口先生は、特権を「自動ドア」に例えていらっしゃいます。

マジョリティ(特権を持つ側)が近づくと、ドアはスッと自動で開きます。
あまりにスムーズなので、そこに「ドア(構造)」があることすら意識せずに通り抜けることができます。
しかし、マイノリティ(特権を持たない側)が近づいても、そのドアは開きません。
彼らは自分の力で重い扉をこじ開けるか、あるいは開けてくれる誰かを待つしかありません。

出口先生は、「差別とは、個人の心の持ちようだけでなく、このような構造的な問題である」と指摘されています。

私たちは「差別はいけないことだ」と教わりますよね。
でも、「自分は差別なんてしていない、いい人間だ」と思っていても、自分が「自動で開くドア」の恩恵を受けていることに気づけていなければ、差別の本当の意味がどこにあるのか分からなくなります。

自分が高い「ゲタ」を履かせてもらっていることに気づかず、砂利の上を素足で歩いている人に向かって「もっと努力して早く歩きなさい」と言ってしまう。
そんな構造的な不均衡が、社会のあちこちに潜んでいるのです。

「障害」は個人の問題ではなく、社会との「ズレ」にある

「障害者は、その人自身に障害があるから“障害者”なのではない」

私がさまざまな所で繰り返しお伝えしている言葉です。
これは、1970年代にイギリスの障害当事者団体が提唱し、現在の国際的な基準にもなっている「障害の社会モデル」という考え方に基づいています。

  • 医学モデル: 障害は個人の心身の機能にある。治療や訓練で「治すべき」もの。
  • 社会モデル: 障害は「個人の心身の特性」と「社会にある障壁(バリア)」との葛藤(ズレ)によって生じるもの。

つまり、私たちが当たり前のように享受している「社会からの支え(スーパーマーケットのようなシステム)」が、ある特定の人には十分に届いていない、あるいは適合していない状態。
それが「障害」という生きづらさの正体なのです。

「すき焼きが食べたい」と思ったとき、スーパーに行けば解決するように。

「移動したい」
「働きたい」
「学びたい」

そう思ったとき、そのための「スーパーマーケット(適切な環境や支援)」が社会の側に用意されているか。

困りごとを抱えた人を目の前にしたとき、私たちはつい「その人の努力不足」や「能力の低さ」に目を向けがちです。
しかし、視点を変えてみれば、「まだ社会の側に、必要な『スーパーマーケット』が足りていないのかもしれない」という仮説が立ち上がります。

「自立」とは、依存先を増やすこと

小児科医であり、当事者研究の第一人者である熊谷晋一郎先生は、非常に示唆に富む言葉を残されています。

「自立とは、依存しなくなることではなく、依存先を増やすことである」
(参照:熊谷晋一郎『リハビリの夜』)

たった一人で牛を飼い、解体してすき焼きを作ることは、究極の「独力」かもしれませんが、現代社会ではそれは現実的ではありません。
私たちは、スーパーに、農家に、物流に、インフラに、高度に「依存」することで、豊かで自立した生活を送っています。

障害がある、あるいは何らかの生きづらさを抱えているということは、この「依存先」が極端に少ない状態だと言い換えることもできます。
社会が用意した標準的なルートに乗れないと、途端に依存先を失い、孤立してしまう。

だからこそ、支援の現場で私たちがすべきことは、その人の「できないこと」を訓練して克服させることだけではなく、その人が安心して身を委ねられる「新しい依存先(スーパーマーケット)」を地域の中に一つずつ作っていくことではないでしょうか。
そもそも、それを支援と呼んでもいいのか?とさえ思っている今日この頃なのですが……

魔法のメガネをかけて、世界を見渡してみる

「すき焼き」と「牛」の話。
この例え話は、私たちから傲慢さを取り除き、少しだけ謙虚な気持ちにさせてくれます。

今、皆さんが当たり前にできていること。
それは、あなたの努力の結晶であると同時に、社会があなたに合わせて用意してくれた「見えない絨毯」の上を歩いているからかもしれません。

もし、目の前に困っている人がいたら。

「どうしてできないの?」と問う前に、自分の足元にある「透明な支え」を一度確認してみて欲しいのです。
そして、「この人にも、私と同じような使いやすいスーパーマーケットがあればいいのに」と少しだけ想像してみてください。

そんなふうに視点を変える「魔法のメガネ」をかけてみると、世界は今よりずっと優しく、風通しの良い場所に見えてくるんじゃないかと思っています。

自分の中にある「当たり前」の支えに気づき、まずは「ありがとう」と受け止める。
そこから、誰もが自然体でいられる社会づくりが始まっていくのだと、私は信じています。

参考文献

今回の記事の背景となっている書籍を一部ご紹介します。
さらに深く知りたい方は、ぜひ手に取ってみてください。

著者: 星加良司 出版社: 生活書院 発行年: 2007年 内容: 障害を個人の心身の機能の問題ではなく、社会的な不利や困難として捉える「社会モデル」の理論的構築を試みた、星加良司氏の代表的な著作です。
著者: 熊谷晋一郎 出版社: 医学書院 発行年: 2009年 内容: 脳性まひ当事者であり小児科医でもある著者が、自身の経験を通して「リハビリテーション」や「自立」の意味を問い直した著作。

この記事を書いたのは

植竹 美保
団子の焼ける公認心理師
こころ整備士(認定専門公認心理師)の植竹美保です。
たまに団子屋になりながら、支援者支援をメインに活動しています。

もう疲れた、先に進めない、進みたくない。
そんな風に思ったら、私と一緒にこころを整備してみませんか?
少しでも皆さんの心持ちが軽くなるようなお手伝いができればと思っています。
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