対話の場である「IRORI会」が終わったあとのことです。
一人の参加者の方が、ぽつりとこんな問いを投げかけてくれました。
「ミホちゃんは、どうしてそんなに人の力を信じられるの?」
「 私はどうしても心配で、先回りして手を出してしまう」
その問いに答えようとしたとき、私の頭に浮かんだのは、今も元気にカッポレを踊っている、とてもパワフルで軽やかな私の母の姿でした。
今日は、私の「信じる」とは?
その問いに答えてみようと思います。
大丈夫というお守り

私の通っていた幼稚園は、隣の市にある幼稚園でした。
そのため、地元の小学校へ入学したとき、知り合いがほとんどいない環境に置かれていました。
でも母は、
「ミホなら大丈夫、いってらっしゃい!」と、
ひまわりのような笑顔で私を送り出してくれていました。
その明るい声に、私は「自分は信じてもらえている」という揺るぎない物語を抱えて、新しい世界へ飛び込んでいきました。
けれど、大人になってから聞かされた事実は、少し違っていたんです。
母は、私が道に迷わないか、友達ができるか、心配でたまらなかったそうです。
そのため、母は何度も有休を取り、電柱の陰に隠れて、私の登下校をそっと見守っていたというのです。
当時の私は、そんな母の葛藤なんて微塵も知りませんでした。
母は、自分の「猛烈な不安」を、私の前では一切見せなかった。
「心配」という自分の感情を、私の「自由」に侵食させなかった。
その、母なりの覚悟のような境界線の引き方が、今の私の土台を作ってくれたのだと思うのです。
「信じる」の正体は、葛藤そのもの
多くの人が、「相手を信じる」ことを「不安がなくなること」や「安心しきること」だと思っているかもしれません。
でも、支援の現場に立つ今の私はこう考えています。
「信じる」と「安心する」は、全く別のもの
むしろ、信じるとは「猛烈に不安な自分」を抱え続ける、とても孤独で、時に泥臭い作業と感じています。
相手を大切に思えば思うほど、不安の波は押し寄せます。
母だって、カッポレを踊るような軽やかな今とは裏腹に、あの頃は電柱の陰で心臓をバクバクさせていたはずです。
心理学者のW.R.ビオンは、相手の不安や耐えがたい感情を、壊さずに自分の中でいったん受け止めておく機能を「コンテイニング(容器機能)」と呼びました。
母がしていたのは、不安を飲み込んで我慢することではなかったと思います。
その不安を自分の中で「これは私が引き受けるもの」といったん受け止めたうえで、角を落としてから、私には「信頼」という栄養だけを渡す。
母は、そんな高度で専門的とも言える振る舞いをしていたのだと感じます。
竿を抱えて、独りで行く強さ

母が自分の不安を、まるでドラえもんのポケットの中に隠すように、私から見えないように隠し通してくれたおかげで、さて私はどうなったのか。
全く「聞き分けのいい子」にはなりませんでしたw
友達から「帰ったら遊ぼう!」と誘われても、「アタシ、今日はザリガニ釣りに行くから、また今度ね」と、竿を抱えて一人で遊びに行ってしまう。
そんな、自分の「好き」を一切曲げない、図太いほどの自律心を持った子供になりました。
もし、母が私の不安を先回りして、
「友達と仲良くしなさいね」、「一人でいたら寂しいわよ」
と干渉していたら、私は自分の心の声よりも、周りの顔色や「正解」を優先するようになっていたかもしれません。
信じてもらえるということは、「誰かの期待に応える自分」ではなく、「自分のままでいても大丈夫だ」という確信を育むことなのだと思います。
D.W.ウィニコットは、「母親の傍らで一人でいられる能力」こそが、自分自身の人生を生きるための土台だと言いました。
母が背後で自分の不安を引き受けてくれたからこそ、私は他者の期待に応えるだけの自分ではなく、ザリガニ釣りに没頭する「ありのままの自分」を確立できたのです。
暗くなっても帰らずに捜索願い一歩手前なんてこともありましたが…反省。。。
石を拾いたくなる自分と、共にいる

今、公認心理師として支援の現場に立つ私は、かつての母と同じ心境に立たされることがあります。
クライエントさんの足元にある石を、先に拾い上げたくなってしまう。
「そこに石があるよ」と、ヒントという名の先回りをしそうになる。
そんな時、私は自分の内側に生まれる「ソワソワ」とした不安を見つめます。
「あぁ、今、私はあの頃の母と同じ場所にいるんだな」と。
信じるとは、相手に何も起きないことを願うことではありません。
相手の人生に起きる出来事を、相手が自分自身の力で意味づけていくプロセスを、自分の不安で邪魔しないこと。
たとえ石に躓いたとしても、その痛みがその人の物語の一部になるのを、静かに見守り続けること。
その孤独な忍耐こそが、「信じる」の正体ではないかと思うのです。
大人になった私は、自分のやりたいを持って出かける私をそっと見守った、母のような強さを持ちたいと思っています。
それが私の「信じる」の正体です。
あなたが今、そのポケットの中にそっと隠し持っている「誰かへの不安」。
それを一人で抱えきれないときは、誰かに預けることもまた、「信じる」ための大切な選択です。
そんな時は、いつでも「IRORI会」に吐き出しに来てくださいね。

さて、あなたは誰の力を信じてみたいですか?
そして、その人のために、どんな「秘密のポケット」を持ちたいと思いますか?










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