「モラリスト」?「リアリスト」?

少し前のこと。
ちょっとした知り合いから「植竹さんってモラリストっぽいよね」と言われたんです。
その時に「どんなところが?」と対話できたら良かったのですが、、、
話しそびれてしまったことが、ずっと頭に残っていたんです。

きっと、このブログも見てくれるはず(希望的観測)なので、ここで私なりの答えを出してみようと思います。

正直その時は、あんまり良い意味で言ってないようなひっかかりもあったんです。
でも落ち着いて考えたら、なんだか違うかもしれないという気持ちも。
あれはもしかしたら誉められたのかも、いや皮肉なのか…

そもそも、モラリストって一体どういう意味だっけ?と調べ始めました。

もし皆さんが「あなたってモラリストっぽいよね」と言われたら、どんな印象を持ちますか?

「うわ、嫌な感じ」と思う人もいれば、「なんか嬉しい!」と思う人もいるでしょう。
私たちの脳は、こうした言葉に自動的にフィルターをかけ、勝手に色をつけてる生き物なのです。
きっと、私にそう声をかけたあの人も、私の色を勝手につけて見ていたんだと思います。

「モラリスト」が持つ二つの顔

まず、「モラリスト」という言葉には、どんな意味があるのでしょうか?
調べてみると、相反する二つの意味が含まれていました。

  • ポジティブな意味: 「道徳的に生きようとする人」「誠実に倫理を重んじる人」
  • ネガティブな意味: 「自分の正しさを振りかざし、人に押し付ける人」「融通がきかない人」

同じ言葉でも、相手のトーンや文脈によって、まったく違う色を帯びるんです。
私のモラリストという言葉のイメージは、「堅物で融通のきかない人」でしたので、後者のニュアンスが含まれていると感じたんだと思います。

心理学的には、こうした「ラベル」は脳の自然な働きです。
複雑な人間関係を少しでもシンプルにしようと脳は、「あの人はモラリスト」「あの人はリアリスト」と仕分け考える。
その方がラクなんです。

でも、このフィルターを通した見え方がすべてではありませんよね。
あくまで「そう見えた一面」に過ぎず、安易なレッテル貼りは、その人自身や、その背景にある複雑な現実を見えなくさせてしまうことがあります。

私はモラリスト?それとも…

確かに私は「人は生まれたときは真っ白な存在で、環境や関係によって色づいていく」と考えています。
だからこそ「人を大切に見たい」という思いは、道徳的な側面を持っているのかもしれません。
しかし、性善説を安易に振りかざしているわけではありません。

環境の影響はときに個人では抗えないほど大きくなります。
だからこそ、問題を「個人の責任」として片づけるのではなく、社会や関係性に目を向ける必要があると信じています。

この考えからすると、私は「モラリスト」よりも「リアリスト」に近いのかもしれないと思いました。

リアリストとは「現実を土台に考える人」のこと。
私は、人が生まれながらに持つ可能性と、それを形作る環境という現実の両方を見つめながら、どうすればその環境をより良くできるかに関心があります。

この考えは、私の支援の軸ともぴったり重なっています。

発達心理学者エリクソンは、乳児期に「基本的信頼感」が育つかどうかが、その後の生き方に大きく影響すると述べています。
これは、生まれたばかりの赤ちゃんが、周りの大人が一貫して自分の要求に応えてくれる体験を通して、「世界は安全で、自分は価値のある存在だ」という感覚を育む、というものです。

生まれながらに“善悪が決まっている”のではなく、周囲との関係性や環境が人を形づくる。
私はこの現実を大切にしたいのです。

私に貼られたラベルを超えて

「モラリスト」と呼ばれると、私のイメージには少々押し付けがましい印象がつきまといます。
でも、私が大切にしているのは「正しさを教えること」ではなく、「現実を一緒に見て、どうしたら居心地よく生きられるかを考えること」です。

ラベルを貼るのは脳のクセであり、避けられないものですが、それがすべてではありません。
だから「そう見えたんだな」と一歩引いて眺めることが、引っ掛かりのある言葉を受けた時の対処法なんだと思います。

「支援する人を支えることが、結果的に利用者支援にもつながる」という私の信念は、まさにこのリアリズム(現実を直視し、より良い環境を創り出すこと)から生まれているのかもしれない。

でも、どちらに属するかではなく、モラリストでもリアリストでもなく、「いまを共に見つめる人」──そんな言い方のほうが、今の自分にはしっくりきます。
それってやっぱり「リアリスト」に近いのかも。
って私の脳は勝手に自分をラベリングしています。

おわりに

ラベルにとらわれると、自分が誤解されることはもちろん、他者を誤解してしまう可能性があります。
しかし、その誤解は「私はどんなふうに人から見られ、どんなふうに人を見ているんだろう?」と、自分自身を振り返る大切なきっかけにもなります。

あなたはどうでしょう?

「モラリスト」ですか?
「リアリスト」ですか?

それとも、別の言葉の方がしっくりきそうですか?

ぜひ、皆さんの答えも教えてください。

参考文献

この本はなんと私と同い年の、味わい深い古い本ですが、発達心理学者エリク・H・エリクソンが著した『自我同一性:アイデンティティとライフサイクル』は、人が一生を通して自分らしさを模索し、役割や価値観を統合していくプロセスを示した古典的な本です。
この本を読むと、私たちが無意識に「私はこういう人だ」「あの人はこういう人だ」とラベルをつけるのも、実はアイデンティティ形成の一部であることが見えてきます。
そしてそのラベルを付けることなく、柔軟な視点や発想を持つことが、より豊かな自己理解や他者理解につながるという視点も得ることができます。

E.H.エリクソン (著)、小此木 啓吾 (訳)

この記事を書いたのは

植竹 美保
団子の焼ける公認心理師
こころ整備士(認定専門公認心理師)の植竹美保です。
たまに団子屋になりながら、支援者支援をメインに活動しています。

もう疲れた、先に進めない、進みたくない。
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少しでも皆さんの心持ちが軽くなるようなお手伝いができればと思っています。
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